「学校教育の情報化に関する懇談会」 第8回のメモ
先日7/28に開催された「学校教育の情報化に関する懇談会」第8回の聞きながら書いたメモです。動画はこちらにありますので、きちんとしたものはそちらを参照ください。
今回の議論の目的は、修正された教育の情報化ビジョン骨子(案) を確認、議論することです。
ビジョン骨子自体はWeb中継が始まってから15分後くらいにひっそりと公開されたので、まだきちんと目を通していません(早いうちに確認したいです)。教育の情報化ビジョン骨子(案)の概要 が用意されていますのでそちらも参照ください。
個人的に重要と思ったものを、メモから抜粋してきます。
一言でそれぞれまとめると、
- 日常的な経験から協働的な学びを(玉置委員)
- グラフィカルなCGなどパッシブなわかりやすいコンテンツではなく、抽象化・モデル化能力を育てる訓練を(新井委員)
- 情報を仮説を持って能動的に収集できるようにすべき(村上委員)
という感じでしょうか。日常からの協働的学びと能動的な情報収集、情報処理能力という点は非常に共感できます。
○玉置委員
協働的な学びを日常から子どもたちが経験することが大事では?
日常生活のはてなを書き込んで、子ども同士で議論・解決をする。子供版熟議カケアイ、美術作品の見せ合いなど
日常的に情報端末を使い、学校の中できちんとコミュニケーションをできるようにすることで、21世紀にふさわしい学びができるのではないか。
活用が広がるような例を。
○新井委員
「わかりやすい」に関する懸念。
デジタルコンテンツは、「電磁場、惑星など観測・実験などで確認できないものを、見ることが出来るようになる。数式よりわかりやすくなる」という一般的な考えがあると思うが、これは逆ではないか。
惑星の大きさを物差しで測るのではなく、モデルと数式でこうなっているのではないか?と考えるのが骨である。理科の考え方は、少量のデータから抽象的なモデルを作ることが重要。パッシブなデジタルコンテンツでは代替は不可能、むしろ悪化させる。
またデジタルを活用する方法として、データを班ごとではなく、クラス全体で共有するというような、協働学習のベースとして情報機器を活用するべき。
○村上委員
今の学校でデジタル黒板などを使ったときのイメージが、わかりやすい以外が見えないことに懸念。
情報化がもたらしたものを教育でどう使うか?は書かれているが、膨大な情報を能動的に仮説を持って取りに行かないと何の意味がない。プロダクティブに仮説を持って取りに行こうという子どもたちが出てくる。
わかりやすい授業をやることで、こうした環境で生き残れる子どもができるのか。
ゆとりで足りなくなったコンテンツを増やしても、情報を仮説を持って取りに行けないと意味がない。
以下、聴きながらとったメモです。
2010年7月28日(水)
学校教育の情報化に関する懇談会 第8回